私について来なさい

私について来なさい

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私について来なさい

イエス・キリストの弟⼦となるとは

「わたしについて来なさい」とイエス・キリストがあなたに呼び掛けている声が聞こえますか。それは、私たち⼀⼈⼀⼈への招きであり、使命なのです。「わたしについて来なさい」キリストが最初の⼗⼆⼈の弟⼦に与えたのと同じ招きです。

マタイという取税⼈にも呼び掛けました。「イエスは、道を通りながら、収税所にすわっているマタイという⼈をご覧になって、『わたしについて来なさい』と⾔われた。すると彼は⽴ち上がって、イエスに従った。」(マタイ 9:9)イエスは、ピリポも同じように招きました。「わたしについて来なさい」とピリポを⾒つけて⾔いました。(ヨハネ1:43)

ある⽇イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いていた時、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレを⾒ つけました。彼らは漁師だったので湖で網を打っていました。彼らに⾔われた。「わたしについて来なさい。あなたが たを、⼈間をとる漁師にしてあげよう。」 彼らはすぐに網を捨ててイエスに従いました。

キリストの弟⼦の⼀番根本的な定義は、イエス・キリストに従う⼈です。キリストの弟⼦になることは、倫理や決まっ た教えを守ることではありません。キリストの弟⼦とは、イエス・キリストを知って イエス・キリスト⾃⾝について ⾏くこと、イエス・キリスト⾃⾝から学ぶこと、イエス・キリスト⾃⾝と同じ姿になることです。

「わたしに来なさい」

イエス・キリストは、⾃分に来るように、⾃分と共に歩むように、また⾃分から学ぶように招いておられます。そして、それが出来るように恵みといのちを与えて下さいます。

「すべて、疲れた⼈、重荷を負っている⼈は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは⼼優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」マタイ 28:18-20

キリストは、ご⾃⾝と共に歩むように私たちを招いて下さっています。それがどんなに素晴らしいことか分かるでしょ うか。私たちが従って⾏くなら、⼀歩⼀歩歩む⼒を与えて下さいます。キリストご⾃⾝が私たちを導き、私たちを教え、また、私たちの重荷を背負って下さるのです。イエス・キリストしか私たちに真の平安を与え、魂に安らぎを与えられる⽅はいないのです。イエス・キリストについて⾏くのは、特別な⼈しか出来ない無理なことではありません。キリストは、「わたしのくび きは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」と恵みと励ましで進めるようにして下さいます。

「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。

また、わたしのものは、わたしを知っています。」

イエス・キリストの弟⼦となることは、キリストご⾃⾝を知ることです。キリストの弟⼦は、⾃分たちの⼈⽣のすべてをかけて、キリストを知ることとキリストと共に⽣きることを最優先にする⼈たちのことです。

イエス・キリストは良い⽺飼いです。キリストご⾃⾝が私たち⼀⼈⼀⼈を導いて、すべてを備えて下さるのです。

イエス・キリストは、⾔いました。「わたしの⽺はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」 これこそイエス・キリストの弟⼦の姿です。キリストと愛する関係を持つことが中⼼なのです。

イエス・キリストの弟⼦となるのは、学者となることではなく、⽺としてついて⾏くことです。イエス・キリストの弟 ⼦は、キリストについて⼭ほどの知識を持つことではなく、キリスト⾃⾝を知ることです。⽺は物事を何も知らず、多くの弱点を持っています。しかし、⽺は⽺飼いの声を知っているのです。そして、⽺飼いについて⾏きます。

詩篇 23 篇にあるように、良い⽺飼いであるキリストが「豊かな牧草地にいこわせ、ゆるやかな流れのほとりに導いて ⾏かれます。」私のたましいを⽣き返らせて下さいます。私たちの⼼の奥底までもすべてのことを知っておられます。私たちが本当に必要としているものをよくご存知です。また私たちが死の陰の⾕を歩む時にも共にいて下さいます。

「わたしは、いのちのパンです」

イエス・キリストは、常に私たちを招いて下さいます。「わたしのところに来なさい。」イエスはヨハネ7:37でも ⾔われました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」私たちの⼼を満たし、魂を満⾜させる

私について来なさい

いのちの⽔を与えて下さいます。また、「わたしはいのちのパンです」と語りました。イエス・キリストだけしか、私 たちの⼼を満たすことはできません。キリストご⾃⾝が私たちのいのちです。

キリストは、教えや倫理や神学だけではなく、⾃分⾃⾝を私たちにお与え下さるのです。イエス・キリストの弟⼦は、イエス・キリストご⾃⾝が⾃分たちの内に⽣きておられるそのいのちによって⽣きているのです。また、キリスト⾃⾝が⾃分の中に⽣きておられるので、私たちは徐々にキリストのように変えられていきます。

「私は、⼾の外に⽴ってたたく」

「わたしのところに来なさい。」「わたしについて来なさい」とのイエス・キリストの今⽇の招きに対して、あなたは どう応えますか。黙⽰録3:20にこのようにキリストの招きが記されています。

「⾒よ。わたしは、⼾の外に⽴ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて⼾をあけるなら、わたしは、彼のところに⼊って、彼とともに⾷事をし、彼もわたしとともに⾷事をする」。

イエス・キリストがあなたの⼼の扉を叩いています。ご⾃⾝のところに来るように、愛する関係を持つように、共に歩 むようにと招いています。もしあなたが⼼の⼾を開くなら、イエスが中に⼊って来られ、交わりを守り、愛する関係を 持つことを約束しておられます。

いかがですか。「わたしについて来なさい」と招かれています。今イエス・キリストにお祈りして、会話してみません か。⼼を開いて祈って下さい。「どうぞ中に⼊って下さい。私はあなたについて⾏きたいです。あなたと愛する関係を 守って共に歩みたいです。私はあなたを私の主、私の王としてついて⾏きます。」

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1. 重要なポイントは何ですか。

2. 神様は⾃分に何を語っていますか。

3. どのようにイエス・キリストに信頼して従いますか。

4. 学んだこと、語られたことについて祈りましょう。

5. 学んだこと、語られたことを誰と分かち合いますか。